少し古い内容ですが、以前テレビで放送されていたものです。
Aさんがヤミ金に手を出して崩壊寸前に追い込まれながら、そこから這い上がるまでのドキュメンタリー番組です。
また、動画で見れない方のために、文字でも書き起こしました。
闇金に借金をしたことでこれだけ苦労するというのがわかるかと思います。
ヤミ金地獄物語 youtube動画
東京は新橋。サラ金・闇金問わず、たくさんの貸金業者が軒を連ねる街。Aさんは、この新橋の闇金業者に電話をしました。20万円借りたい。そう頼むと、とにかく事務所に来てくれと言われました。
私たちは、その事務所を訪ねてみました。しかし、事務所は既に閉鎖されていました。半年前に引き払ったのだそうです。
家族に内緒で
平成14年の暮れ、Aさんは家族にも内緒でここを訪ねました。
あなたの場合は条件が悪いので、残念ながら3万円しか貸せません。初めてだから利息はちょっと高いけど、10日で5割です。それでいかがですか?
闇金業者はそう言いました。
「ここまでして、本当に困ってて、手ぶらで家族のところに帰っても困ってしまう。電気、ガス、子供の学費とか払うものがあったと思うんですけど、恐らく1万か2万くらいあったと思うんですよね。だからとりあえずは3万でもいいかな、という感じでありがたかったですね。高いけど。どこも銀行とかも貸してくれなかったから、いや~、これはとにかく助かるかなと。家が助かるなと。でも、10日なんてあっという間ですね。」
10日ごとの利息を払うため、別の業者からまた借りる。
気がつくと、あっという間に30社から120万円。
このままいったらえらいことになる。
「相談する人もいない。お金のことなんで友達に話ても逃げていくでしょ。」
ついに払えなくなった去年の夏。脅しの電話がかかってきました。
ついに払えなくなる
「電話を切っても切ってもくるんだよ。家にも来るし。会社にきて嫌がらせするし。直接来て暴れていったんですよ。もう会社もいられなくなっちゃった。」
「8月には会社を解雇されました。自分としてはもう生きていられないようなことをしちゃったのかなって。罪悪感と逃げたい、そういう気持ちはあったね。でも逃げられないものがあったね、やっぱり」
最後に選んだのが債務整理
最後に選んだのが債務整理でした。
闇金業者にもう払いませんとFAXを送り、電話で罵声を浴びながら、一ヶ月以上かけてやっと精算できました。生き返る思いだったといいます。
しかし、これですべてが終わったわけではありませんでした。新しい悩みが待っていたのです。
もともと闇金に手を出す生活自体が変わったわけではなく、解雇されたこともあり、以前より生活が苦しくなりました。
収入はさらに減る。でも今度こそは絶対に借金ができない。このままでは家族を食わせることができなくなる。そこまで追い詰められたのです。
Aさんは、3ヶ月前から新しい会社に勤め始めました。
自宅から会社までの20キロを毎日自転車で通っています。趣味ではありません。会社から支給される交通費の5千円を家計の足しにするためです。千円でも二千円でもいい、収入を増やす、それが必要なのです。
実はこの自転車、変速機が壊れています。変速機に小石を挟んで使用していますが、一番重いギアしか使えません。ペダルも壊れています。とてもこぎづらいのですが、100円の修理費も惜しい。それが現実なのです。
おかげで1足しかない靴も底がボロボロなのです。新しい靴は今しばらくの辛抱です。53歳のAさんには、毎日往復3時間の通勤は堪えます。でも、続けるしかないのです。
リフォーム会社への就職
新しく勤め始めたのは、住宅リフォームの会社。
仕事の前に(自転車通勤で)汗で濡れた服を着替えます。トイレ掃除は新人の仕事。8時半朝礼。
Aさんは、月収40万円以上可との新聞広告をみて、この会社を選びました。
仕事は、リフォームのセールス。
このパンフを持ち、一軒一軒訪ね歩くのです。注文が取れれば歩合で収入は増えますが、最初の月は8万円。先月は23万円。まだ40万円には届きません。
とにかく歩くこと。一日300件の家を訪ねる。それがノルマです。
「本当に1000件に1件くらいですかね。たまに、丁度やりたかったんだよ、という人がいますけど、滅多にないですね。まずは、結構ですと言われますね。」
会社では40万円以上稼いでいる人もいます。早くかせぎたい。でも現実は甘くはありません。
昼ご飯は公園で弁当。ここ2年ほど外食をした記憶はありません。公務員を辞めなければよかった。そう考えることもあります。
「一回こう、どん底まで落ちちゃうと、なかなか這い上がれないですよ。さあ、これ、整理できたからといって、明日から普通の生活が出来るかというととんでもないね。かえって、その後の生活の方が問題だね。生活を立て直せるかそれにかかっているよね。家族のある人は、人の3倍働かないと立ち直れないんじゃない。倍でも駄目でしょう。」
家族と一緒に暮らしたい
Aさんの家は子沢山です。
長男15歳(高校一年生)、次男14歳(中学3年生)、長女9歳(小学校4年生)。養育費だけでも大変です。そして、去年の暮れに生まれた三男。闇金騒動の時には、お母さんのお腹の中でした。
業者の脅しが続いた頃、家族離散の危機が何度もありました。そのたびに、どんなころがあろうと、家族は一緒に暮らそう、そう言い続けたのがB子さんだったのです。
B子さんは母を知りません。幼い頃離婚して家を出ていきました。父は可愛がってくれましたが、やがて酒に溺れ、暴力を振るうようになりました。小学校1年生の時に養護施設に入り、以後あることもなく、父はなくなりました。
家族のぬくもり、家族が一緒に暮らすこと、B子さんはそれに憧れていたのです。
お金がなくても親子で生活できればいいよって、私はこれが夢だったんだからって言ってるんだけど。私はこの家族を壊したく。それがB子さんの願いです。
暗くなってもAさんは仕事を続けていました。チャンスは待っているだけではやってこない。それを知っているからです。
「めげてられないですね。それより1本契約を取ることを考えます。」
結局この日は駄目でした。諦めるな、そう自分に言い聞かせるようにペダル漕ぎながら家族の元に帰ります。
今日の疲れを洗い流すのは冷たいシャワー、もうすぐ冬がきます。子どもたちのためにも、早くガスを入れなければ。お金が必要なのです。
夫が自殺するかもしれない
神奈川県横浜市。去年の夏、闇金に追われ70歳の男性が自殺しました。
その妻71歳。夫の様子がおかしいので注意はしていたのですが、つい眠り込んだ明け方6時過ぎ、夫は隣の部屋で首をつりました。ヤミ金業者の脅しの内容を書いた夫の遺書が決め手となり業者は逮捕され、実刑判決もでました。その遺書は一般にも公開されましたが、もう一通妻だけに宛てた手紙があったというのです。
「長い間ありがとう・・・この言葉をどんな思い出書いたかと思うと泣きました。死んだらおしまい。そう思いながらお父さん迎にきてとついいっちゃいますよね。一人で行くのは怖いからって。」
同じ去年の8月、Aさんのところでも、同じような状態が続いていました。夫がいつ自殺するかもしれない、そんな不安をB子さんは抱えていました。
Aさんはヤミ金に脅されたときは寝た記憶がないという。富士の樹海に行こうかとも思っていた、そう語る。樹海の奥で何も考えずに眠りたい。そう考えていたのです。しかし、家族を食わしていかなかればいかない。一度死んじゃったんだから、後は何でもできるだろうと。
妻は糖尿病だが、ここ2ヶ月程病院に行っていない。月1万円のお金がないからだ。足がしびれてきている現状は、良いとはいけない。
今日は給料日。特売で見つけた10キロ2980円のお米を抱える。頑張って頑張りぬいて稼いだ給料は35万円。
絶対に必要な分をまず確保します。たまった家賃2ヶ月分12万円。ガス代の5万円。電気代7000円、電話代3000円、水道代10000円。
B子さんの病院代。生活費にどれだけ残せるのかが問題です。
本当は10万残したいけど、5万円しか残らなかった。家族6人で5万円の生活は大変です。赤ちゃんもいるわけですから。
豪華な弁当
翌朝の弁当は久しぶりの豪華な弁当だった。ハムに唐揚げが入っていた。
B子さんは3ヶ月ぶりに病院に行きました。費用はおよそ1万円。お医者さんには叱られましたが、インシュリンを飲み続ければ急変することはないだろうと。一年ぶりのお風呂の掃除。やっと当たり前の生活に戻りました。一年間、冷水のシャワーだったということです。
お風呂に入っているAさん。感無量ですとの一言は、とても幸せを感じてます。
雨の中、セールスは続きます。靴が新しくなっていました。B子さんが病院の帰りに買ってきてくれていたんです。
2250円のスニーカーです。Aさんの家族の暮らしが本当に元に戻るにはまだ半年以上かかるでしょう。それも仕事も順調にいき、収入も毎月きちんと入る、それが条件です。
2年前にすがった、たった1本の電話が、家族に大きな災いをもたらしました。Aさんは、そのことを決して忘れることはないでしょう。
再起に向けて
今のAさんは、とにかく明るい。カラ元気かもしれないが、とにかく明るい。一度自分は死んでいるんだ。後は何でもできる。家族のために自分のために頑張るんだという力強さを感じます。
アントニオ猪木も言っています。「元気があれば何でも出来る」と。
本当に再起に向けて頑張って欲しいと思います。